はじめまして「かず」と申します。
この度は〝言語障害と右肩麻痺の家族を持つあなたへ〟にご訪問いただきありがとうございます!

同じような境遇で辛い日々を送っている人。
好きで病気になってしまったわけではない旦那の人生を、意味あるものにしたかったから…このサイトを立ち上げました。

 

「障害のある家族を持つ大変さを分かち合える相手が、一人ぐらいいてもいいじゃないか」

と、思ったからです。

マイノリティーな私たちは、
そうではない方からしたら「大変だね」「すごいね」の一言で終わります。

 

その先の会話に行きたいのに、一人で会話してるみたい。

もちろん、家族や友人は私たちの事を気遣ってくれます。

でも、それとこれとは別の話。

実際、毎日介護と向き合っている人と、それとは無縁の生活を送っている人にとっての溝は
これ以上埋まる事はありません。

そんな寂しさを、あなたと分かち合えたら、

こんな嬉しいことはありません。

あなたも、そう思いませんか?

 

 


明日から、新婚生活なのに…


今でも忘れません。
入籍して、2ヶ月目を迎えていました。

 

もともと、特別な事を考えていなかったので、結婚式もなし、新婚旅行もなしの地味すぎる結婚でしたが、一緒に居られる事が本当に嬉しかった。

 

私たちは旦那の実家に一緒に住むために、
お互いの仕事の合間を縫ってせっせとお家の片付けをしていました。

 

そして、明日は私の実家から大きい荷物を運んで、本格的に一緒に住めるねって、決めていたんです。

 

 

 

その日の朝。
明らかに旦那の様子がおかしい。

 

風邪をひくと、ものすごく体調が悪くなると聞いていたが、いくらなんでもおかしい。

 

話しかけても、返事しない。
でも、反応はする。
起き上がろうとする。
旦那の焦点が合っていない。

 

今から思えば「私がパニック状態」でした…
ここで、救急車を呼ぶという、選択肢が出てこないのです!

なにを思ったか自分の母に電話w
すぐに「救急車呼びなさい」って怒られました(^^;

 

救急隊員の人が確か3名だったと思います。
旦那に一生懸命声をかけてます。
「ここは痛い?」「ここは感じる?」とか。

 

同時に、他の隊員の人が私に質問します。
昨日の様子はどうだった?とか。

 

何枚か書類を書きました。

 

大きい体の旦那を救急隊員の人が運びます。

 

庭のわんこはおとなしく見守っていました。

 

近所の方々に心配そうに見守られながら病院へ出発です。

 

 

 

救急車の中で私から旦那に声をかけます。

 

「もう大丈夫だよ」

 

自分にも言い聞かせるように。

 


即入院


待合室でどれほど待ったか、覚えていません。

 

覚えているのは、またまた書類書きの嵐と、救急隊員の方に質問された内容のほぼ同じことを看護師さんと担当の先生に聞かれたこと。

 

「またかいな…」と思いながら、呪文のように返事をしていました…

 

何回も同じことを繰り返すので、おかげで新しい住所を覚えました…(汗。

 

そして担当の先生から衝撃の一言。

 

 

「今の旦那さんの症状と、頭のレントゲンから見て、脳梗塞だと思われます」

 

「今から血流が滞っている脳の血管に、ある程度血が流れるようなお薬を入れます」

 

「詰まっている血管が弱っているので、お薬を入れたら血管が破れてしまい、最悪植物人間といわれる状態になってしまうかもしれません」

 

 

「それでもいいですか?」

 

 

 

 

いや、先生、それって…

 

 

 

「選択肢ないじゃないですかw」

 

とは、言い返しませんでしたが、わたしの顔は半笑いでしたでしょうにw

 

あぁ、西洋医学って「賭け」かも…って、思った瞬間でした(^^;

 

 


いらないプライドと急性期(入院してから40日後まで)


旦那の服のサイズもわかりません。
入院に必要なものもわかりません。

 

この時私は会社員だったので、今後の働き方も相談しないといけません。

 

近所付き合いもわかりません。

 

もう何もかもがわからないことだらけでも

 

やるしかありません。

 

 

ここで何かが崩れる音がしたのを覚えています。

自分は大変プライドの高い生き物だったのですが、そのプライドを自分で壊さないとやばいって本能で思ったんでしょうね。

 

 

私たちが旦那の実家で生活するから、私たちに気を使って一人暮らしをすることになった義理の妹に泣きつきました。

 

「帰ってきてほしい」と。

 

自分も含めて、周りの環境が変わり過ぎるほど変わりました。

 

入院して2週間ぐらい経った時、だいぶ周りが見えてきた時に

 

 

「そろそろ、転院先を考えましょう」

 

と病院から言われて、私の頭の中は真っ白に

 

「え?どうゆうことですか?」

 


回復期とその後の不安(転院してから100日以上〜退院まで)


今の日本の医療制度では、ある程度回復の見込みがあると医師が判断した場合、
回復期リハビリテーション病院へ転院することになっています。

 

日常生活動作の改善を目的とした、いはゆる「リハビリ」を集中的に行う専門病院です。

 

もちろん、ある程度の転院先は紹介していただけますが、
この転院先が旦那の人生と私の人生を決める!と悟った私は必死で探しました。

 

自分の仕事にも支障がなく、通えるところ。
自分に何かあったら、すぐに両親に甘えられるところ。
そして、リハビリをきちんとしてくれるところ。

 

転院当日、まだ一言も言葉を話せない旦那を車の助手席に乗せて、転院先へ。

 

何気に倒れてから初めてのお出かけです。
(行き先はまたもや病院ですが…)

 

転院してから、毎日リハビリがあります。
言語聴覚士、作業療法士、理学療法士の先生に恵まれて、せっせとリハビリをする旦那。

 

私はというと、フルタイムで働きながら、ほぼ毎日お見舞いに行きます。

 

 

でも、ここまでは良いのです。ここまでは。

 

食事は病院が全て用意してくれます。
なにかあったら看護師さんも常駐しています。
お風呂も介護福祉士さんがやってくれる。

 

でも旦那が退院したら、それらを「全て」私がやらないといけません。

 

脳梗塞の回復期リハビリテーション病院での最大入院期間は、150日。
旦那は「高次脳機能障害」もあるため、180日がリミット。

 

180日を迎えるまでに、私がアップデートしないと!

 


退院後が一番大変


旦那はこの時38歳。

 

無事退院できても、制度の関係で介護保険が使えないのです。

 

残念ながら、私たちは裕福ではありませんし、貯金もありませんでした。

 

頼れるのは、私の収入と私自身だけです。

 

平日は、目覚めたらまず旦那の肩装具をつける手伝いです。
それから私は出勤。
通勤に片道1時間半かかるので、残業がなくても帰宅は12時間後です。
帰宅後は、次の日の3食準備。
それから入浴手伝い。
そのあと自分が食事&お風呂に入って就寝。
これだけで1日が終わります。

 

仕事が休みの日は、旦那がリハビリの日。
送迎も含めると4時間。
その間に食事材料の仕入れ。
あとは平日にできない洗濯と掃除。
そして次の日の3食準備&入浴手伝い…と、平日のルーティンと同じ。

 

これを…1年続けました…

 

流石に、途中で目が覚めて。

 

社長に直訴しました。

 

これ以上は無理です、と。

 

好きでやってきた勤続15年の仕事も、
私の人生をがらりと変えた、旦那の冒険にはかないませんでした。

 

今は、ぐっと勤務時間を減らしてパートとして働いています。

 

世間の中で時間がないと嘆いている人がいらっしゃいますが、
私の前でそんなことを言うのならば張り手ですw

と、胸を張って言えるぐらい時間の使い方は考えてきました。

 

 

このサイトは、ほんの少しでもそんな私と同じ境遇に悩むご家族の方の、
励みになればと思います。

 

 

最後に、

旦那が倒れてから4年半が過ぎました。

 

全てに介護が必要だった入院当初に比べれば、
劇的な回復をしていると思います。
本人はそんなこと微塵にも思ってませんがw

 

障害者手帳合算で2級です。
(右上肢(3)、右下肢(7)、言語障害(4))

 

そんな旦那ですが、今では一人で入浴もできます。
(自宅は築50年、リフォームなし、お風呂は手摺付けた&椅子のみ)

 

車の免許を更新して、右麻痺でも運転できるように改造。

 

車で通勤して、就労支援A型事業所に通っていました。
(現在は体調が思わしくなく、事業所は通っていません)

 

私自身は障害を負っている本人ではないので、
細かいところはわかりません。

 

ですが、旦那の上記の回復ぶりは、必ずどなたかの励みになると信じています。

 

障害を持つご本人も、
そしてその隣で応援するご家族も
私はどちらの方も、応援します。

 

障害のある家族が一人で食事もできないとか、
お風呂に入れないとか、
排泄のお手伝いがいるとか、
あなた自身を理解してくれないとか、
そういった家族を抱えている方からしたら、
私なんかの経験はゴミみたいなものだと思っています。

 

世の中にはもっと大変な方々がいらっしゃるのは、承知の上です。
それでも私がこのブログを立ち上げたのは、

 

「障害のある家族を持つ大変さを分かち合える相手が、一人ぐらいいてもいいじゃないか」

 

と、思ったからです。

 

マイノリティーな私たちは、
そうではない方からしたら「大変だね」「すごいね」の一言で終わります。

その先の会話に行きたいのに、一人で会話してるみたい。
もちろん、家族や友人は私たちの事を気遣ってくれます。

でも、それとこれとは別の話。
実際、毎日介護と向き合っている人と、それとは無縁の生活を送っている人にとっての溝は
これ以上埋まる事はありません。

 

 

そんな寂しさを、あなたと分かち合えたら、

 

こんな嬉しいことはありません。

 

あなたも、そう思いませんか?

 

そのために、私が経験してきたことを余すことなくブログで伝えていきますね。

もし、誰にも聞けない疑問とかあったら、こっそり教えてください。

私専門家ではないので、答えは出ないかもしれませんが、

経験上この人に聞いたら教えてくれるかもよ!

と、アドヴァイスぐらいは出来ると思います。

 

大丈夫ですよ。

噛み付いたりしませんから(笑。

 

 

どんな境遇でも、大好きな家族が隣で笑ってくれるなら、

生きている事を楽しもうではありませんか。

 

ここまで読んでくださってありがとうございました。

 

このサイトのどこかに、あなたの助けがありますように。

2016年6月 拝